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昭和61年(1986年)

中野浩一氏は国際レースでV10を達成し、スポーツ界に明るい話題を提供した。豊原ミツ子氏は働く楽しさを笑いの中に示し、勤労意欲を誘った。タモリ氏は明るい流行語を作った。写真は、副賞の金の耳掻きでポーズをとる受賞者。

タモリ(タレント)

明るい流行語をつくった。

豊原 ミツ子(タレント)

働く楽しさを笑いの中に示し皆の勤労意欲をさそった。

中野 浩一(競輪選手)

国際レースでV10を達成、スポーツ界に明るい話題。

昭和60年(1985年)

生方恵一氏はNHK紅白歌合戦の司会で人間味溢れる美空発言で、塩沢トキ氏は病を克服し、超大型のヘアースタイルで笑いを提供したことで、日本テレビの佐藤孝吉氏はカルガモの引越しの撮影に成功したことで授賞。この年から会場を帝国ホテルに移した。

生方 恵一(アナウンサー)

人間的な雰囲気紅白の場面で。

佐藤 孝吉(日本テレビ)

かる鴨の引越し撮影に成功。

塩沢 とき(タレント)

病を克服、大型ヘアスタイルで笑いを提供。

昭和59年(1984年)

ビートたけし氏は独特のジョークをあみだしたことで、浦辺粂子氏は60を過ぎて新人歌手になったこと、山田直稔氏は自称オリンピック応援団長として活躍したことで授賞

浦辺 粂子

浦辺 粂子(女優)

80歳を過ぎて新人歌手になる。

ビートたけし(タレント)

独自のジョークをあみだした。
山田 直稔

山田 直稔(浪速商事会長)

オリンピック自称応援団として各国にでかける。

昭和58年(1983年)

畑正憲氏は動物愛を通じさわやかでほのぼのとしたユーモアを与えてくれたこと、萩本欽一氏は特異なタレントの養成と軽妙なおしゃべりを茶の間に浸透させたこと、小林完吾氏は面白まじめの放送局でまじめアナウンサーとして活躍したことが授賞の理由だった

小林 完吾

小林 完吾(日テレ・アナ)

面白まじめ放送局のまじめアナウンサーとして活躍。
萩本 欽一

萩本 欽一(タレント)

特異なタレント養成と軽妙なおしゃべりを茶の間に。
畑 正憲

畑 正憲(作家)

体験的動物愛を通じ、さわやかでほのぼのしたユーモアを。

昭和57年(1982年)

鈴木健二氏は「面白ゼミナール」など、三波伸介氏は「減点パパ」「笑点」なでのユーモア溢れる司会振りが、フジテレビのひょうきんディレクターズは演出の立場にありながら出たがりやの精神を発揮したことが授賞対象(大賞)になった。三波伸介氏は授賞が決まった後に没し、遺影への授賞となった。

鈴木 健二(NHKアナ)

「面白ゼミナール」他放送番組で、ゆうもああふれる司会。

ひょうきんディレクターズ(演出家5人)

演出家の立場にありながら、出たがり屋の精神を発揮。

三波 紳介(タレント)

「減点パパ」「笑点」等の放送番組でファンを魅了。

昭和56年(1981年)

大屋政子氏はトウチャンを失ったにもかかわらず、テレビなどで明るい笑顔を振り撒いたこと、渡辺美智雄氏は財政問題をミッチー節で分かりやすく説明したこと、ピップエレキバンのフジモト㈱会長の横矢勲氏はスットンキョウなテレビCMが話題になったことで授賞した

大屋 政子

大屋 政子()

トウチャンを亡くしたにも拘らずブラウン管で明るい笑顔。
渡辺 美智雄

渡辺 美智雄(大蔵大臣)

財政問題をミッチー節でわかりやすく説明。

横矢 勲(ピップエレキバン会長)

スットンキョウなテレビCMが話題

昭和43年(1968年)

青木 一雄(NHK・アナウンサー)

トンチ教室を卒業。

昭和42年(1967年)

榎本 健一(俳優)

文字通りゆうもあ精神。

藤 猛(プロボクサー)

”勝ってもかぶっても”でヤマト魂を逆輸入。

昭和41年(1966年)

杉山 金太郎(豊年製油会長)

最長老の現役社長。

竹沢 三郎(築地署警ら係)

森繁久彌にそっくりお巡りさん。

トルバート・デイル(宣教師)

日本語弁論大会で恐妻家ぶりを披露。

昭和40年(1965年)

市川 昆(映画監督)

話題をまいたオリンピック映画。