平成14年(2002年)
田中邦衛氏はフジテレビのドラマ「北の国から」で個性的な名演技と遺言を普及させた功により、高野志保氏はNHK朝の連続テレビドラマ「さくら」のヒロインを演じ、さわやかな笑顔が視聴者に活力を与えたことで、小沢昭一氏はTBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を30年も続け、その何とも言えないユーモア溢れる弁舌にたいして、ゆうもあ賞が贈られた。
小沢 昭一(俳優)
TBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で30年間にわたる弁舌には脱帽高野 志穂(タレント)
NHK朝のテレビ小説「さくら」のヒロインを演じ笑顔を持って視聴者に活力を与えた田中 邦衛(俳優)
フジテレビのドラマ「北の国から」で長年に渡った個性的な名演技で感動させた平成13年(2001年)
まだ高校2年生だというのに趣味はゴルフ・三味線アマチュア無線と渋く、受け答えにもそつがなく親父そのもののえなりかずき氏、舞台「放浪記」ではでんぐり返し、「質屋の女房」ではジャズダンスを披露しても疲労しない若さ溢れた森光子氏、「ご長寿早押しクイズ」でとんちんかんな回答者に対して、鈴木流真面目司会術がユニークな鈴木史朗氏がゆうもあ大賞を受賞。
えなり かずき(タレント)
高校2年生というのに趣味はゴルフに三味線、受け答えもそつがなくオヤジそのもの鈴木 史朗(タレント)
「ご長寿早押しクイズ」でとんちんかんな回答者に対しての鈴木流まじめ司会術森 光子(女優)
「放浪記」ではでんぐり返し、「質屋の女房」でジャズダンスを披露しても疲労しない若さ平成12年(2000年)
NHK大河ドラマ「葵三代」で徳川家康の癖をおもしろおかしく表現した津川雅彦氏、声の時間差や人形を使わない新方式で、腹話術の楽しさを再認識させたいっこく堂氏、それに長年に亘り水戸黄門役で印籠をかざして悪を懲らしめ平和な国造りに貢献した佐野浅夫氏が平成12年度のゆうもあ大賞に輝いた。
いっこく堂(腹話術師)
声の時間差や人形を使わない新方式で、腹話術の楽しさを再認識させた佐野 浅夫(俳優)
長年、水戸黄門として印籠をかざして悪を懲らしめ、平和な国造りに貢献津川 雅彦(俳優)
NHK大河ドラマ「葵三代」で徳川家康の癖をおもしろおかしく表現した平成11年(1999年)
「きたないババーだな」と発しても喜ばれる特異な話術で芸能生活50周年の毒蝮三太夫氏。『五体不満足』の大ヒットで障害を持つ人に夢と希望を与えた乙武洋匡氏。ガングロが跋扈する中、美白を追求し日本女性が美しくなることに貢献した鈴木その子氏。この3名が平成11年度のゆうもあ大賞を受賞した。
乙武 洋匡(学生)
「五体不満足」の大ヒットで障害をもつ人に夢を与えた鈴木 その子(美容研究家))
美白を追求し、日本女性が美しくなる事に貢献毒蝮 三太夫(タレント))
特異な話術で芸能生活50周年平成10年(1998年)
天童よしみ氏は、天童人形が若者の魔よけとなり、また力強い歌声は不況をも吹き飛ばしたこと、KONISHIKI氏は、相撲引退後一躍CM界の横綱になり、「IスキーUスキー」などユーモアたっぷり、由紀さおり氏は数々の童謡や名曲を歌った歌手が、喜劇を演じオトボケが皆を楽しませた。そうした理由でゆうもあ賞が贈られた。
KONISHIKI(タレント)
一躍CM界の横綱となりIスキーUスキーは、ゆうもあくらぶそのもの天童 よしみ(歌手)
天童人形が若者の魔よけとなり、力強い歌声は不況を吹き飛ばした由紀 さおり(歌手)
数々の童謡や名曲を歌った歌手が喜劇を演じ、おとぼけが皆を楽しませた平成9年(1997年)
春風亭小朝氏は百歳のお年寄りを千金の重みを持つユーモリストに変身させる特技により、大山のぶ代氏はアニメで初めて切手になったドラえもんとは切って(切手)も切れない関係にあることで、佐々木主浩氏は、プレイが終わると恐れられる「浜の大魔神」から紳士に豹変、その落差は正にフォークボールであると、ゆうもあ大賞が授賞された
大山 のぶ代(タレント)
アニメで初めて切手になり、どらえもんとはきって佐々木 主浩(野球選手)
「浜の大魔神」から紳士に豹変。その落差はまさにフォークボール春風亭小朝(落語家)
百歳のお年寄りを千金の重みを持つ、ユーモリストに変身させる特技平成8年(1996年)
中島誠之助氏は「開運なんでも鑑定団」でほこりを被っていたものに価値を与えごみを少なくした。西田敏行は映画「つりバカ日誌」で日本のユーモアを世界水準に高めた。有森裕子氏は「初めて自分で自分を褒めたいと思います」の名セリフを残した。授賞式は平成8年からキャピトル東急ホテルで行われるようになる。
有森 裕子(オリンピック選手)
「初めて自分で自分を褒めたいと思います」の名セリフを残した中島 誠乃助(タレント)
「開運!なんでも鑑定団」に出演しほこりを被っていた品に夢を与えた西田 敏行(タレント)
日本のユーモアを映画「つりバカ日誌」で世界の水準に高めた平成7年(1995年)
福留功男氏はキャスターの部知名度と高感度でトップとなり、毎朝視聴者の心を和ませた。原辰徳氏は「僕の夢には続きがあります」の名セリフで青少年に夢とロマンを与えた。柳家小さん氏は落語家として初めて人間国宝になり、笑いの世界を向上させた。
原 辰徳(元野球選手)
「僕に夢には続きがあります」の名セリフは青少年に夢とロマンを与えた福留 功男(アナウンサー)
知名度好感度でキャスターのトップになり、毎朝日本人の心を和ませた柳家小さん(落語家)
人間国宝になり、笑いの世界をより向上させた平成6年(1994年)
大沢啓二氏は日本ハムを一切の責任を負って潔く退団しファンに向かって土下座したこと、中村玉緒氏は悲劇的女優から一転、バラエティ番組に出演しお笑いをこなしたこと、羽田孜氏は半袖の省エネファッションを提唱し自らモデルになったが、その袖のごとく総理の期間も短かったことなどの理由で表彰された。
大沢 啓二(元野球監督)
日本ハムをいさぎよく退団、一切の責任を負ってファンに向って土下座中村 玉緒(女優)
悲劇的女優から一転してバラエティー番組に出演、見事にこなした羽田 孜(元総理大臣)
昔懐かしい省エネファッションを自らモデルになって全国を遊説平成5年(1993年)
志茂田景樹氏は書斎に閉じこもって黙々と書いている小説家の暗いイメージを派手な衣装やパフォーマンスで明るくした功績、中山雅史氏は親子の連携プレーで日本サッカーの先行きに希望を持たせることに貢献、土井たか子氏は議長として議員への発言をさん付けにするなど、国会を身近なものに感じさせたことなどで授賞された。馬堀遠州常任理事の描く作品を持って記念撮影。